2017年12月1日金曜日

ハレルヤ賛美の足跡(3)
下を向いて歩く
 小学校1年生から3年生まで通った榎並小学校の隣に野江水神社があった。その境内を私は時々通学路にしていた。ある日、その境内で10円札を拾ったことがあった。
 別の日に、母の使いで魚のアラを買うために都島通り沿いにある市場へ行った。雨が降っていた。どういうわけか、私は車道を歩いていた。小学校2年生の頃だったと思う。広い道路だが、まだ車の数は少なく、馬車(荷車を引く)や牛車が道路の端を通行していた。お天気の良い日は、馬糞・牛糞が目についた。榎並小学校を右に見て、その先に市場があった。自転車が私を追い抜いて行った。水撥ねを飛ばして去った車輪の跡に百円が落ちていた。私は百円札を見たことがないので、おもちゃのお金だろうと思った。帰宅して、母にそのお金を見せると、母は大喜びして「これでお米が 買える」と言った。警察へ届ける気持ちはさらさらなかったようだ。
 そういうわけで、私は下を向いて歩く癖がついてしまった。後日、父と1年間だけ一緒に住んだことがあるが、父は仕事休みの時は決まってパチンコ屋に行って遊ぶのを常とした。私は退屈しなかった。店内を歩いて回り、落ちているパチンコの玉を見つけるのである。
 話を元に戻そう。小学校3年生の時の担任は川崎先生と言った。生徒たちから好かれていた。給食の時、先生が言った言葉を覚えている。「僕より早く食べたらあかんでぇ。ええか。よく噛んで食べや」。優しい口調である。
 遠足の行事を控えていたある日、我が家は貧しく、私だけが遠足代を払えず、遠足に行けそうになかった。川崎先生は私の家の事情を良く分かっていたらしく、ひそかに私に声をかけた。「福本、お前な、学校が終わったらな、僕の家においでや」。先生の家は私の家から近かった。夕方、先生の家を訪ねると、先生はにこにこして、「福本、よく来たなぁ。これでな、今度の遠足行けよ。誰にも言うなよ」。そう言って私の手に百円札を握らせた。
 家に帰って、母にそれを渡すと、母は、「他人(よそ)様からお金をもらうなんて、そんなことしたらあかん」と怒った。”昔人間”はお金をもらうことに抵抗があったようだ。
 何年か前に母と昔話をしていた時、話の流れで川崎先生の事が出た。すると私は怒った時の母の表情を思い出したが、暗に反して、母はこう言い放った。「川崎先生はええ先生やった。後ろから拝みたいような先生やった。あんな人、そんなにおらんで」。
 イエス・キリストに出会って、下を向く生き方から天を仰ぐ人生に導かれた。当時、お金の大切さをひしひしと感じさせられたが、今から思えば、頂戴した百円札以上に、川崎先生のお人柄を心に刻み付けていただいていたのだ。貧しい中での人々の親切は、無限の愛の出発点であられる神様を知る布石となっていたに違いない。
 

2017年11月30日木曜日

ハレルヤ賛美の足跡

賛美の足跡(2)
焼け野原で
 母はどのようにして食いつないできたのか、とにかく今日あるを得ている。物心がつき始めた当時、貧乏のどん底にいたという思いはそれほど強くはない。
 どのような経緯で借家に入れたのか、母に尋ねたことがないのでわからない。城東区野江西野町3丁目がわたしの記憶にある。国道1号線から狭い路地に入り込んでさらに狭い路地の突き当りに借家があった。
 路地から国道に出ると道の向こう側にパン屋があり、そこへよくお使いで行った。数日経った売れ残りのパンを買うと、安く、紙袋に一杯入れてもらえた。母はそれを鍋で蒸して柔らかくし私達に食べさせるのである。芋粥、団子汁、100%大麦の飯(パラパラなので多少の粉を入れると塊になる)などが通常の食べ物であった。練った粉を電熱器の上で焼いただけの具のないパンもよく食べた。「銀シャリを食べてみたい」「誕生日には赤飯を食べたい」などがささやかな願いであった。誕生日祝いの思いではない。
 当時、疎開できた人々は、一応食べられたのではないか。疎開先のない者らは誰もが貧しい生活レベルだったに違いない。
 3歳違いの妹は明るく、マイペースで過ごしていた。わたしは小学校1年生で6歳下の妹を背中におんぶして近所の子供たちと遊んだ。小さな一塊の家の集まりを抜けると、一帯は焼け野原である。チャンバラごっこ、べったん(めんこ)、手作りの水鉄砲遊び、胴馬、缶蹴り、ビー玉、お砂味、探偵ごっこ、水雷艦長、将棋、ケンケン(石蹴り)など、おもちゃが無くても日が暮れるまで面白く遊んだ。隔たりある年齢差に関係なく皆仲よく遊んだ。
 焼け野原では、鉄くずを集めることもした。銅銭などは高く売れ、家の経済の足しにしたものである。それらは働きではなく遊び感覚だった。
 母は本職を生かして繕い物や仕立て直しで生計を立てた。それだけでは食ってゆけないので、学校給食のおばさんをしてみたり、屋台を出しておでんを売るなどした。給食係では残り物に与ることができた。
 

ハレルヤ賛美の足跡

賛美の足跡
(1)戦時生まれ
 1941年12月8日、真珠湾攻撃を皮切りに太平洋戦争が始まった。昨年、ホノルル日本人教会での伝道奉仕のために3か月ハワイに滞在した。その終わりごろに、某新聞社の読者欄に、抽選でパールハーバーツアーへの参観希望者を募る記事があった。この手の希望申し込みで抽選に当たったためしがないのだが、通知が来た。妻と二人して参加した。ハワイ時間では12月7日が真珠湾空襲の記念日になっている。戦艦3隻、ネバダ、オクラホマ、アリゾナが撃沈された。戦艦アリゾナは引き上げられず、未だ海中にあり、その戦艦をまたぐ形で白色の記念館が建っている。記念館からはまだ油が戦艦から滲み出ている様子がうかがえて風化されていない。
 真珠湾から約2か月後、わたしは大阪市大淀区で産声を上げた。戦争末期、1945年3月13日、第1回目の大阪大空襲がスタートした。終戦まで合計8回の大阪大空襲が繰り返された。3歳半では記憶が乏しいが、B29戦闘機が群れを成して来ると、メガホンを持った警告者が広場の真ん中に立って、「空襲警報発令」と大声で叫ぶ。母はわたしを背中におんぶして防空後へ駆け込む。壕の中は防空頭巾をかぶった人々が息を潜めて戦闘機が去ってゆくのを待つのである。母によれば、防空後から防空後へ走る時に、焼夷弾が雨のように降り注ぎ、破裂した破片が体に突き刺さって命を落とす者も大勢いたと言う。B29の襲来の音は不気味で、その音に伴って警報サイレンが鳴り続ける。戦争中の恐怖は大人たちのそれとは比較にならないだろう。あまり記憶にないが、戦後、飛行機が飛来する音を耳にするとおびえることがしばしばであった。
 1945年8月15日に終戦を迎えた。大阪は丸焼けに近かった。母が長崎への買い出しから帰ってくると木造の家は灰になっており、ミシンを生業としていた母は、灰の中に鉄の塊が埋もれていたと言う。母は住む家を失い、省線(現JR)「天満」駅と「桜ノ宮」駅との間に、淀川の支流「大川」にかかる鉄橋の下、雨を凌げる所で数か月過ごした。我が家だけではなく、数世帯が助け合いながら過ごしたそうである。

2017年7月19日水曜日

安息日の意義

キーノート:「それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言葉は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。神の安息に入った者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。」(ヘブル人への手紙 4:12910

瞑想:「人間の、神と共に歩む歴史は、創造週の第1日ではなく第7日すなわち安息日
にはじまったのである。われわれは、安息日を、神との関係に生きた最初の日として理
解しなければならない。神は、われわれの経験や思想や計画や生活において、まず、最
初に迎えるべきお方である。」(サカエ・クボ著「神との出会い」18,19頁)

1.    アダムとエバは六日目の最後に造られた。そしてすぐ第7日目に入る日没。彼らが迎えた最初の朝は安息日の朝。彼らが目覚めて目にしたものは、神の創造なる壮大な大自然であった。人間の手の業はまだ何もなかった。彼らは神のみ業を瞑想して人類歴史の第1日を過ごした。被造物に対する無限の愛、配慮、思いやり、秩序と調和の世界、地球を覆うすべては神の知恵だけであった。見るモノすべてが神の愛を物語っていた。わたしはフィリピンのボラカイ島の透明度の高いサンゴ礁に魅了されて半日中も潜っていたことがある。美しい自然を見る時、わたしたちは天地創造の時は一体どんな世界だったろうかと思ってしまう。重要ポイントは、人類誕生前に永遠の創造者がおいでになることである。人のわざの前に神のみわざがある。

2.    安息日は人類歴史の出発点である。神のみ業を見る事からこの世界が始まった。これが、聖書全体を通して教えている救いのかたちである。まず神を仰ぎ見る。これが信仰による義である。イザヤ45:22に、「地の果てなるもろもろの人よ、わたしを仰ぎ望め、そうすれば救われる」。これは福音の基本原理であり中心教義である。

3.    安息日の意義

   創造の記念日―被造物は創造主によって依存した。爾来あらゆる存在は固有の力によって存在しているのではなく創造主に依存する存在なのである。イエス様はそのことを「ぶどうの木と枝」の関係に例えられた。枝に葉っぱや花やぶどうの実がつくのは、木の幹につながっているからである。世界に誇る日本の新幹線も、電力の源に結ばれていることによって目的を果たし得る。

   贖いの記念日―出エジプト記20:3~17にモーセを通して与えられた十戒が記述されている。第4条の戒めは安息日に関するもので、そこでは創造の記念日として表現される。申命記5:12~15には、もうひとつの十戒が記される。前記とまったく変わらないが、面白いのは第4条の安息日の理由が創造の記念日としてではなく、贖いの記念日として述べられる。創造の記念日と贖いの記念日は同じ方から出るのである。贖いは再創造という意味では創造と同意を示す。「神がその創造のみわざを終えられたのは、創造の六日目であった。同様に、キリストがそのあがないの働きを完了されたのは、受難週の六日目であった。」(サカエ・クボ著「安息日と再臨」50頁)。主はご自身の命令を、安息日を墓でお休みになられることによって批准された。

   交わりの日―エデンの園で、アダムとエバは二つの制度を神から受けた。安息日と結婚である。安息日は縦の交わり、結婚は横の交わりを意味した。十字架がその象徴として表されることがある。神との交わりを通して人はから癒しと赦しと回復と新たな力とが与えられる。受肉の約束がここに暗示されていた。キリストご自身の中に神性(タテ)と人性(ヨコ)との永遠の結合がある。安息日の交わりの経験を通して、我々は、安息日の主であるキリストにおいて揺るぎない神との結合を見る。7日目ごとの礼拝を通して、人は未来に与えられる完全な交わりの前菜を経験する。神の臨在の中に留まることが人類にとって未来永劫の祝福である(出エジプト記25:8、マタイ123、黙示録21:3~4)。天国を先取る経験である。現代人は、お茶の間で、人間性を破壊するさまざまなニュースを日々聞く。終末的社会状況に取り囲まれている。エジプトを襲った無数のかえるは台所や寝床にまで侵入して人々を悩ましたが、我々の生活の中に罪文化のニュースや知識が隙間なく入り込んでくる。「安息日がなければ、我々はきわめて容易に自らの人間性を失ってしまう」(同上54頁)。

   道徳の基礎―十戒の中の「父母を敬え」「殺すなかれ」「偽証するなかれ」は、誰もその理由を追い詰めて問わない。未信者でさえ、それは社会ルールの常識または当然だと考えているからである。その基準は他の人に迷惑をかけないという事だ。だから安息日は道徳に無関係だと見做している。守ろうが守るまいが他人に迷惑をかけない。同性愛も両者の同意に基づき、他人に迷惑をかけない、とする考え方から社会的容認の方向に進んでいる。
戦後わが国の教育の土台に進化論教育がある。戦前の宗教的押し付けが反面教師的モデルになったことは否めない。宗教は本質的に押し付けであってはならない。押し付けは必ず人間性を否定する。進化論の前提は偶然である。わが国の子供たちは棚ボタ式に進化論教育を受ける。科学は実証主義の上に成り立っているはずである。進化論は実証された科学として教えられる。しかし、実証を経たわけではない。推測の域を出てはいない。「…と考えられている」という言葉が使われることもあるが、大抵は実証科学のように語られる。ここでは進化論を解明する頁はない。進化論を道徳的に捉えるならば、偶然が出発点なので、それは意味がないことを伝える。つまり、人生には何の意味もないことを暗黙のうちに教える。極端に言えば、無神論者は刹那的に生きるほかはないのである。今日、低年齢の少年犯罪が増加の一途をたどっているが、そのことと無関係ではなさそうだ。人間は意味のない人生に耐えられない。人は皆そういうわけで自分なりの価値観、あるいは社会通念から出た価値観、自己満足的な意味を創り出して生きるのである。
日曜日を礼拝日とする教会は、主が日曜日に復活なさったことを根拠に礼拝日を変更した。キリスト教を歴史的に神学的に重要と位置付けられた。キリストの復活は確かに重要である。使徒たち、弟子たちの証言は歴史的に確かであり豊かである。キリスト教が天の啓示に基づくものとして決定的でさえある。しかし、その変更は啓示(聖書)に基づくものではない。申命記4:2には、「わたしの言葉に付け加えてはならない。減らしてもならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである」。と言われている。日曜日に変更したという事は、神の言葉に人の手が加えられた、と言うことである。
(例話)大きなビジネスを営むある男が数か月間海外へ出張することになった。その間、息子に新しい屋敷を建てるよう命じて設計図を渡した。息子は父の作成した設計図を見て感銘を受けた。父の設計通りに事を進めた。しかし、1所だけ首を傾げるところがあった。それは大きな屋敷全体から見て些細なことと考えた。父の設計では井戸の場所が畑の側にあったが家に近い場所が便利だと思った。それ以外は全く父の考え通りであった。帰国した父は新築を完成した屋敷を見た。すぐに1ヶ所違っていることが分かった。息子にそのことを問うと息子は言った、「お父さん、わたしはお父さんの設計通りに全うしました。確かに井戸の場所だけを変えましたが、それは家に近い方が利便性が良いと考えたからで、全体はお父さんの設計通りです」。すると父は彼に言った、「これはわたしの設計ではない。お前の設計だ。全体は父の設計だというが、お前は1ケ所だけ気に入らなかった。他にもあればそこも変えたであろう。これはわたしのではなくお前の設計だ」。
安息日の道徳的価値は、これがあらゆる道徳の土台であり、道徳の出発点である。なぜか?神の啓示には人の考えが及ばない領域(その方が大きい)を含む。健康に関する知識は私達人間よりも神の方がはるかにご存知である。わたしが神を信じた時、食生活についても神の聖書に従った。神のお言葉には理解ができない部分が多くあったが、わたしは自分の知識や経験に問うことをしなかった。自分の理性よりも神の全知全能を信じたからである。信仰による道徳は神のご計画に到達するであろうと確信している。

   信仰による安息―ヘブル人への手紙4章は、安息日に意図された信仰による義のことが語られている。体を休める以上の事が語られている。人によっては仕事をしている時の方が心は休まるという人もいる。ここでいう休みは何かをやめるというよりは、神に心を向けるために休むということである。神に信頼する事による平安である。ヘブル4:2を見ると、神の言葉は、信仰に結びつけることが大事だと言っている。安息日が祝福として受ける最大の意味は、【信仰によって・・】である。新英語訳では、彼らは「福音を聞いたけれども、信仰を混入しなかった」とある。出エジプトを果たしたイスラエル人は、数週間を経てまもなく、約束された「乳と蜜の流れる地」カナンに入るはずであった。事前に12人の調査隊が組まれ、約40日間をそのために費やした。しかし報告は大きく二つに分かれた。カレブとヨシュアは前進しようと言った。他の10人は、かの二人とまるで異なる意見だった。カナンの人々は巨漢で、自分たちは子供のようだと言った。両者の最大の違いは、見るところが違っていた。カレブとヨシュアは神のなさる力強さを見、他の10人は敵の強さを見た。カレブとヨシュアの視線は天に向けられ、他の者たちは地上を見、自分たちの弱さを見た。二人にはゆるぎない平安が宿っていたが、他の10人には恐れがあった。神への信頼が欠けると平安は訪れない。荒野を旅したイスラエル人が、神の安息に入れなかったのは、安息が用意されていなかったからではない。神の安息は、創造のみ業が完成して以来、ずっと備えられていた。今も継続している。信仰と従順をもって神に心を向ける者は、神の休みにいつだってあずかることができる。荒野を行くときでも安息にあずかるのである。安息日は神への信頼の日である。「静まってわたしこそ神であることを知れ」(詩46:10)、とある。休むことそのものが出来事(神の創造のみわざにお任せする)である。神の恵みの時なのである。アダムがただ完成した神の創造を瞑想したごとく、今我々は、安息日にただ救われた事実を思い起こし、神の恵みの介入に対し、自分を明け渡すことである。すべては神から出ており、神によって支えられ、神に帰するのである(ローマ人への手紙11:36)。

   魂の休みー黙示録14:6~12に、終りの時代に安息日が回復するというメッセージが含まれる。御利益宗教と呼ばれるものがある。手を合わせる礼拝の相手よりも御願い中心である。キリスト教の信心にも似た例がある。「困った時の神頼み」的な自己中心的傾向は人間の悲しい性(さが)なのであろうか。創造主を伏し拝めという命令は、安息日の回復に関係している。安息日は信仰による義そのもの、神のみわざを見る事から始まった。セブンスデー・アドベンチスト教団の長い名称について書いておこう。「セブンスデー」は第7日目、神を仰ぎ見る人々の礼拝日だが、「神を仰ぐ」のは第7日目だけではない。日々の信仰スタイルのピークがそれである。神を仰ぎ見続けた歴史の先には何があるか?それが「アドベンチスト」(神を待ち望む人々)の希望キリストの再臨である。これが信仰による義の実現である。信仰の中心にいますキリスト、信仰の土台であるキリスト、「十字架のキリスト、語れ、祈れ、歌え」。これがセブンスデー・アドベンチストのメッセージである。獣の刻印を受ける者は、昼も夜も休みが得られないとある。神を度外視する人の魂は真の安らぎを得ない。キリストは、「すべて重荷を負うて、苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」と言われた。魂の運命を決定的に支配しておられる造り主の言葉である。


   神の印ー黙示録14:1「その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた」“144000人”は限定された数字のことではない。聖書では、しばしば数字は性質を表す。それは神に信頼を寄せる者たちの品性を現す。彼らは子羊の行く所へはどこへでも着いてゆく人々である。他の箇所では、彼らの額に神の印が押されている、とある。ホワイト夫人によれば、人が神と交わる身体の部分は頭脳である、と言うことである。「五日でタバコがやめられる」の考案者マクファーランド先生は、額に記される印の場所は前頭葉である、と語られた。前頭葉は、人の意志と理性と精神の働くところである。人は神のかたちに造られた。何が神のかたちか?選び、判断し、決定を下す自由意志である。人は子供の頃から、毎日意志決定を繰り返す、その積み重ねの上に人格が築かれる。父と子羊の名が記されるとは、意志決定を神に向かって下す人のことである。「ただ必要なのは本当の意志の力とはなんであるかを知ることであります。意志とは人の性質を支配している力、決断力、選択の力であります」(「キリストへの道」EGホワイト著 57頁)。神の御言葉は、神ご自身と同じく、人間の理性では計測不能の領域が広いのである。「鰯の頭も信心から」という妄信では決してない。神は聖書を信じるだけの十分な根拠を与えた上で、神を信じるよう招いて下さっている。有限な人間の、あるいは私の理性や経験や直観によって自己の納得に基礎を置いた信仰ではなく、無限の神に信頼を置くことが求められる。信仰による神の意志によって決断する時、神の印が刻まれる。神の印は神のかたちであるキリストのご品性の写しである。

2017年7月9日日曜日

聖書研究「日曜日礼典の起源」

日曜礼典の起源

1.       日曜日礼典の慣習は、元々、異教徒の間に起こったものである。日曜日(Sun-Day)は太陽礼拝の日である。選民イスラエルを除く異教の諸国で太陽礼拝はいろいろの形式で広く一般に行われていた。聖書にも太陽崇拝の例を多く見出すことが出来る。エジプトのファラオはその一例である。異郷国に取り囲まれたイスラエルは、しばしば、その危険な影響下に置かれたが、安息日を順守する間は太陽礼拝の誘惑から守られた。

2.       キリストの復活・昇天以後、100有余年間、キリストの使徒・弟子たち・初代教会は父なる神とキリストに愛と忠誠を堅持した。新約聖書を記録した使徒や福音書記者たちは安息日の変更について一言半句も言及していない。

3.       紀元150年頃、日曜日を「主の日」と称した最初の人物はアレキサンドリアのクレメンツである。この日を正しい礼拝日として説明を加えた人はユスチノスである。ユスチノスは「ユダヤ人が頑迷だから安息日が与えられた」と歪曲している。安息日を土曜日から日曜日に変更した経緯は、当時の歴史的背景があった。ローマ帝国は、しばしば反乱を起こすユダヤ人に手を焼いていた。そこでユダヤ人を撲滅する簡易手段は土曜日に礼拝を守る人々を急襲することであった。キリスト教徒の中には頑迷なユダヤ人と同一視されることを嫌悪する人々もいた。そこで、彼らとの違いを明らかにするために、主イエス・キリストの復活日である日曜日を礼拝日とした。初めは土曜日と日曜日の両方を守っていたが、次第に日曜日を重視していった。キリストの復活こそが神のみ子イエスがメシアである強力な証拠だとし、日曜日を「主の日」または「聖日」とする大義とした。

4.       ローマ皇帝の中には皇帝を神として奉るように皇帝礼拝を強要する者が出てきた。安息日を厳守するユダヤ人は偶像礼拝に等しい皇帝礼拝を拒否し、迫害を受ける事になった。神に忠実なキリスト教徒も例外ではなかった。「人間に従うよりは神に従う」(使徒行伝5:29)クリスチャンは迫害を受けた。初期キリスト教会教父テルトリアヌスが「キリスト者の血は種である」と言ったが、迫害されればされるほど、キリスト教徒は増えるばかりであった。キリスト教徒の中には、ローマ皇帝から嫌悪されているユダヤ人から、自分たちは違うのだという新たな信条を創り出した。それが日曜日を礼拝日として承認する傾斜を辿った。キリストの復活はキリスト教の本質を示す歴史的重大事項であることに違いないが、聖書のどこにも日曜日を礼拝日とする神の啓示はない。含みさえもない。

5.       歴代の皇帝の迫害にもかかわらず、キリスト教徒はますます増大し、4世紀初めの、ディオクレティアヌス帝による大迫害のあと、もはやキリスト教徒を敵としてはローマ帝国の統一は困難であると悟り、キリスト教徒の団結を帝国の統一に利用した。それがキリスト教をローマの国教として公認したコンスタンチヌス帝である。当時、西の副帝であったコンスタンチヌス帝は、6人と帝位を争っていたが、順次これらを破り、特にイタリア半島を支配していたマクセンティウスとの戦いの際、天に十字架が現れ、「汝これにて勝て」という文字を見たと証言し、それを旗印に戦って勝利を得たので、翌313年にリキニウス帝とミラノで会見し、属州総督あての書簡の形でキリスト教の信仰を公認した。これが有名な「ミラノ勅令」である。その後379年に皇帝となったテオドシウス1世は、380年にアタナシウス派キリスト教を国教とし、392年には他の宗教を厳禁とした。

6.       コンスタンチヌス及びテオドシウス1世によりキリスト教はローマの国教となった。コンスタンチヌス帝が本気でキリスト教を信じたのではなく、あくまでも政治上の戦略からであった。拡大するキリスト教を彼の支持基盤にすることが目論見であった。ローマ人の間には、いくつかの神々の形態があった。その中でも中心的な宗教はミトラ教(元来はペルシアの宗教で”光の化身”を意味した。ローマでは太陽神としていた)である。ローマ皇帝は太陽礼拝の祭司である。キリスト教とミトラ教の信者の両方にいい顔をして執り成す祭司ともなった。キリスト者は、もはや肯定礼拝にかかわる迫害を受けずに自由に信仰生活を営むことが可能となった。しかし、この事がキリスト教徒にとって罠となった。太陽礼拝に伴う異教的な思想と習慣がキリスト教に混入したのである。偶像礼拝(キリスト像、聖母マリヤ崇拝、聖人礼拝、遺物礼拝など)、善行による救い(功徳を積むこと、御利益)、日曜日聖日、霊魂不滅、永遠地獄、聖書よりもミサ中心等々がイエス・キリストを見上げる福音からすり替わってしまった。太陽礼拝では、日曜日が毎週の礼拝祭日であり、最大の祭典は冬至(日照時間が最も短く、その日からだんだん長くなるが、これを太陽の王子の誕生並びに成長と見做された)である。これが12月25日に定められ神のみ子の生誕にすり替わり、クリスマスと称された。コンスタンチヌス帝は紀元321年、日曜休業令を帝国内に発布した。「裁判官、都市住民並びに工人はすべて日曜日に休息すべし。しかし、農民は、農耕地で働くことを自由にする。何となれば、種まきや葡萄の木の植え付けは、他の日にできないことがあるからである。機会を失って、神のお与えになる恵みを失うことがないようにとの意である」。この記述にあるように、彼の法令発布の目的は、キリスト信者からの支持を受け、太陽神をも崇めることにあった。彼の実質は皇帝の職位であるミトラ教の祭司であった。彼の時代の貨幣の表にはChristと刻まれ、裏にはSol Invictus(無敵太陽)と刻まれていた。

7.       当時、ローマ帝国のおひざ元にあったローマ教会の監督シルベスターはカトリック教会の主権的象徴であった日曜日を高揚するために、教会は喜んでコンスタンチヌス帝の法令と異教的礼拝日を受け入れた。2世紀半ばからユスチノスやクレメンツによって復活日としての位置づけが構築されてきた日曜日聖日は、4世紀においては、カトリック教会が世界的教会としての地位を確立する目的をもって、太陽礼拝が普遍的になっていた世界への宣教を有利にする機会としてこれを歓迎したのであった。コンスタンチヌス帝の法令と教会の日曜礼拝採用は、キリスト教が異教と妥協した場所を指示した。紀元364年、カトリック教会の高位高官のすべてはラオデキヤ会議に参集し、「安息日に休むことを禁じ、日曜日に休むことを命令」する教会法令を発布した。「キリスト教徒は安息日に休むことによってユダヤ化してはならない。その日には労働しなければならない。少しでもユダヤ化している所が見つかるならば、つまり安息日を順守するなら、キリストより切り離された者、呪われた者と見做さなければならない」。この会議の宗規は、帝国内の全教会によって採用された。カトリックの教会会議は、すべて法王の権威によって確認されてきた。「法王は、法令に服従するのではない。何となれば、法王が教会のために良いと思えば法令を修正することも無効とすることも出来るからである」。法王性の所産であることの最も著しい証明は、カトリックが第7日目の礼拝日を日曜日に変更したことである。この歴史的事実こそ彼女の権威の証であると明言している。
ローマカトリック教会の信仰問答は次のように述べている。
問  安息日は何曜日であるか?
答  土曜日が安息日である。
問  われわれが土曜日ではなく日曜日を守るのはなぜか?
答  カトリック教会がラオデキヤ教会会議において土曜日の代わりに日曜日を守ることを定めたからである。

8.       カトリック枢機卿ギボン氏は、「聖書を創世記から黙示録までをつぶさに読んでも、日曜日の聖別を証明する聖句を唯の1行でさえもあなたは見出し得ないであろう。聖書は土曜日の宗教的旬報を力説している」と認めている(「我らの信仰の父」89頁)。
9.       バプテスト教会牧師ヒスコック博士は、「安息日が第7日目より週の初めに移されたと、ある種の誇らかな響きをもって容易に言い切ることが出来であろうか。どこにそのような変更の記録を見出されるか。新約聖書中には見いだされない。決して見いだされない」(「N.Y.イグザミナー」1893年11月16日)。
10.  後日に続く。

聖書研究「安息日」


週制度の歴史

世界の創造から新世界に至る迄の第7日目安息日を辿る

1.       週制度の起源 創世記2:1-3 神は創造週の終り第7日目に安息日をお立てになり、それをアダムとエバにお与えになった。人類の祖に与えられたことはユダヤ人に限らず全人類のために設けられたことを意味する(マルコ2:27参照)。

2.       出エジプト記16:4.22-30 紀元前1500年頃、出エジプトを果たしたイスラエルの民は、第7日安息日にマナを集めないようお命じになった。それはシナイ山で十戒(出エジプト記20:3-17参照)を賜わる6週間前のことである。その後、乳と蜜の流れる地カナンに入るまでの40年間、彼らは天からのマナをもって安息日の聖別意識が養われた。

3.       イエスの承認 ルカ4:16「イエスは「いつものように」教会へ出席された。イエスは創世記をはじめとするモーセの五書を神の霊感による啓示の書として認めておられた。事実、神のみ言葉として旧約聖書から多くの引用をされた。また、十字架の死とそれに続く昇天の前に、主は弟子たちと群衆に、40年後に起こるローマ軍によるエルサレム滅亡(紀元70年に起こった)に際し、「あなたがたの逃げるのが冬または安息日にならぬよう気を付けなさい」と警告された。

4.       金曜日は準備の日 ルカ23:54-56 ルカが福音書を記録した年代はキリスト復活後30年を経ていたが、週制度を当然のこととして記録した。イエスは金曜日に十字架に掛けられたが、彼の葬りの墓まで見届けた群衆は、準備の日だったので、おきてに従って安息日を休んだ。彼らの週の数え方は、日曜日を「週の第1日目」、月曜日を「週の第2日目」と言い、六日目は「準備の日」と呼んだ。ヘブル語の「週」は「7」を意味する語根から来ている。マタイ28:1-7.安息日は墓の中で休まれ、週の第1日目に復活された。

5.       使徒行伝13:14-16,27,42,44 紀元31年のペンテコステ(聖霊降臨)以後、イエスの弟子たちもパウロも安息日には会堂で聖書朗読をし、また伝道説教をした。パウロは伝道旅行の間に多くの書簡を設立教会に送っている。それらはキリスト復活後65年以内である。安息日に関して、この間に異変があったことを示す出来事は一切なかった。

6.       ユダヤ人の暦の歴史:安息日はユダヤ人生活の中心であった。安息日がなければユダヤ教は存続せず、ユダヤ人の歴史も消滅していたことであろう。ユダヤ人の間で、「安息日がイスラエルを守った」という格言がある。だからユダヤ人は安息日を守るのに命懸けであったことが覗われる。現代の宗教的でないユダヤ人でも、安息日には家族・友人たちが集い、食を共にし、語らい、踊り、固有の伝統を守る。ユダヤ人にはいろいろの祝祭日があるが、第7日目の安息日は十戒に書かれている。

7.       捕囚民と共にあったエゼキエル(紀元前6世紀頃)。イスラエルの背教の顕著なしるしは、安息日の軽視または無視(エゼキエル22:8,26;20:20)であったとされている。完全な安息日遵守の民をエレミヤは未来のイスラエルに見ていた。捕囚時代とこれに続く中間時代(旧約と新約の間の時代)を通じてユダヤ人は、厳格な安息日遵守へと傾斜していった。その傾向は、新約時代のユダヤ国民の「安息日」の考え方に見る事ができる。

8.       週制度についての歴史的解説 「7日という時の単位は、太古の時代からほとんどすべての東洋諸国において用いられ、東洋から西洋に広がっていった」(大英百科事典”カレンダー”の項)。
 「人類の発祥地と考えられている地中海とユフラテ河に囲まれた地域に私どもは人類の最も古い文化と制度を見出すのですが、その中にすでに週制度が存在しています」(「真理への道」山形俊夫著190頁 福音社発行)

9.       紀元前約400年~紀元前67年頃(ローマ帝国樹立) セレウカス王朝アンティオコス・エピファネス4世は、ユダヤを攻めるにあたって安息日の礼拝日に狙った。戦略的に有利に働いたからである。この間も週制度に異変がなかったことを物語る。

10.  紀元前5世紀、エジプトのユダヤ人コロニーにおいて傭兵達は上エジプトのナイル川の島エレファンティンに住んでいた。20世紀初頭、古代パピルスの収集物がそこで発見された。後日にはもっと多くのパピルス、彫刻のある陶器の破片が見つかった。これらはすべてアラム語で書かれていたが、当時のユダヤ人によって使用された文字であった。それらの多くは日時が記され、エズラ、ネヘミヤ時代に相当していることが判明した。これらの文献は、エレファンティンのコロニー(入植者)生活の様子を伝えている。これによれば、ユダヤ人達は、真の神への礼拝と偶像礼拝の混合を示している(SDAコメンタリー9巻1108頁)。安息日については、発見当初、パピルスのどれにも言及されておらず、したがって学者たちは、休みの日としての安息日は守られていなかったのだろうと考えた。しかし、1940年に、陶器を詳しく調べると、特にその内の4つは休みの日としての安息日について言及していることが判明した。たとえば、一つは次の言葉で始まる、「Yislahに挨拶を送ります。今、ご覧ください。明日は瓶を送りません。明日は安息日、牛が迷わないようにしっかり繋ぎます。主は生きておられます」(A.デュポン・ソマー:フランスによる出版、1950年3月23日レビューアンドヘラルド127:10)。
    厳格な安息日順を含むエズラ&ネヘミヤの改革命令に従うことを選んだことは十分考えられる。他方、偶像礼拝ユダヤ人の中には安息日を守る者もいたか、あるいは無視したかである。その時代のユダヤ人が度々経験した問題は、ネブカデネザル王の時代にユダヤ人が直面したことと同じである。アガサルキデス(前2世紀)という書からの引用で、ヨセファスは、BC300年頃の記録から、プトレミー1世が、安息日にエルサレムを占領する戦略を選んだ事に言及している。ユダヤ人はこの日に戦わなかったからである(ヨセファス「ユダヤ戦記」9巻9:12)。
 
11.  日曜日~土曜日の呼称の起源 古代バビロンの占星術から起こったとする説がある。グレコバビロニア(アレキサンダーの時代)東方征服後、太陽と月と肉眼で見える五つの星は神々の名において呼ばれた。神々の順序は地球からもっとも遠い土星に始まり、内側へと進む。24時間後、翌日の第1時間目の主神は、3つ前(あるいは4つ後)の太陽となる。以下、順に土星、太陽、月、火星、水星、木星、金星、そしてまた土星が各日の守護神となる。第1時間目の守護星は、同時にその日一日の主神とされ、その日は守護星の名をもって呼ばれる。これを繰り返し1時間目の主神の星を並べると土日月火水木金となる。世界の至る所で太陽崇拝が中心であった(天動説)ためで太陽が神々の主神と考えられ、日曜日が第1日目に数えられた。

12.  紀元2世紀の元老院ディオ・カシアス(ローマ史)によれば、ヘロデ大王の時代BC38年の初期に安息日について知られていた。すなわち、ユダヤ人は土星の日(第7日目)に休んでいたと記録した。これは聖書の週と異教の週が同時に並行していたことを示している。ローマの歴史家タキトゥスは「ユダヤ民族の起源を土星の神」と結びつけ、そのために土星の日に休む、と言っている。

13.  聖書が「週の初めの日」と告げている日は、異邦人の太陽の日と呼んだ。「日曜日」という語では聖書には出てこない。「週の初めの日」8回。①マタイ28:1 ②マルコ16:2③マルコ16:9 ④ルカ24:1 ⑤ヨハネ20:1 ⑥ヨハネ20:19 ⑦使徒20:7 8コリント第1,16:2.このうち6回は復活についての言及である。

14.  「祭司たちの会議場の屋根の上で…祭司の一人が立ち、ラッパの音で注意を喚起し、また、これに続くその日の終わりの夕方、毎安息日、仕事を休む時間、仕事を再開する時間を人々に通告した」(SDAコメンタリー190頁)。

15.  6世紀ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグス:復活祭暦表でローマ建国紀元754年を、イエス・キリスト生誕1年とする西暦紀元から計算され採用された。10世紀頃一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは15世紀以降である。

16.  ユリウス暦からグレゴリオ暦へ:ユリウス暦は紀元前45年から1582年まで用いられた。ユリウス暦では暦上の春分日と実際の春分日とのずれが顕著(16世紀時点で10日間のズレ)、復活祭の日付の計算が正しくない事が無視できなくなった。ローマ法王グレゴリウス13世により1582年2月24日グレゴリオ暦を発布。10月4日(木)の翌日を1582年10月15日(金)とした。週制度に何の差し障りはなかった。その年から10日間を削除した理由は、AD325年ニカヤ会議で復活祭がその時期に適合するよう定めていたことである。春分後に起こる最初の満月後の最初の日曜日に復活祭が守られるべきである、とその会議は布告した。復活の日が春分に決められた時は3月21日であった。AD325年以降、1200年以上が経過した。その間、春分の日は3月21日から3月11日に後戻りしていた。400年間に97回の閏年(366日)を設ける事により、1年の平均日数は365.2425日とした。これがグレゴリオ暦の本質である。新教諸国では採用が遅れた。1582年:イタリア、フランス、スペイン、ポーランド 1583年:オランダ 1587年:ハンガリー 1700年:ドイツ、オランダ、デンマーク 1752年:大英帝国、英国自治領 1753年:スウェーデン 日本では明治5年12月2日の翌日を明治6年(1873年)1月1日として実施。丁度4週間のズレを調整した。「安息日の間隔は中断されることなく連続的に行われたことは疑う余地がない」(イタリア天文学者 ジー・スキャバレリ〈1835-1910〉著「旧約の天文学」)。


18.  1999年にローマ歴とエジプト暦の両方の日付が記載されたBC24年当時の暦が発見された(閏年の置き方の調査で)。グレゴリオ暦が使われるまではコプト暦(エジプト暦)の新年はユリウス暦の8月29日。コプト暦とは古代エジプト暦に起源を有しコプト正教会で使われていた。これはナイル川が増水する時期にあたり、農事のサイクルに対応している。因みにコプト暦とエチオピア暦は同じ。ビザンチン暦9月1日だった。

2016年4月20日水曜日

永遠の仲介者

 「そこでまた、彼(キリスト)は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである」(ヘブル7:25)


 神のみ子イエス・キリストは、永遠に、人に奉仕し続ける立場をお取りになりました。実証された科学的法則は、誰もそれに異議を唱えたり、立ち入ることが出来ないのと同様、人を神に近づけるキリストの力を妨げる者は誰もいません。わたしたちが困難や悩みに遭遇するとき、いつでも祈れる場があるということはありがたいことです。時空を越えて耳を傾けてくださいます。台所からでも、大通りからでもお聞き上げ下さいます。祈る場所、祈る時間というものはありません。言葉にならないうめきのような祈りにも親身に傾聴してくださいます。
「彼(キリスト)は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした」(イザヤ53:12)。「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」(ルカ22:32)。主イエス・キリストが捧げられた祈りを読むとき、つねにわたしたちのサイドで執り成しておられるのがわかります。「我らの主の天における生活は祈りである」(H.B.スィート)。

私は子供の頃に神に祈ることを覚えました。この時から神は私の慰めであり、明日への力でありました。どんな小さな祈りにも神は耳を傾けてくださいますが、主に近づくに従い、祈りの心が変化してきているように思います。「あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることが出来るようにし、心の目を開いてくださるように」(エフェソ1:17,18)。神への理解が深まりますと、信頼と安心をもって神に近づくことが出来る、と聖書は証言しています。

キリストを生きる

「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、人々があなたがたのよい行いを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16)



 義弟家族とわが家とで能登半島の海に遊んだことがありました。キャンプ場から眼下に美しい日本海を望むことができました。わたしたちはテント村の仲間入りをさせてもらったのですが、その夜の光景を忘れることができません。外灯や電灯が全くない夜のテント村で、各テントの中ではそれぞれの方法で灯りを灯(とも)していました。すると、赤や黄色、青などの様々なテントの色が闇に浮かぶのです。その上、家型、ドーム型、三角型など、テントの形のままにくっきりと浮かび上がります。美しい光の芸術の祭典のようでした。
キリストの精神が弟子たちの心に宿ったとき、彼らは皆互いに違った個性や教養の持ち主でしたが、キリストの命は、それぞれのかたちで現されました。人々は弟子たちの共通点をこう言い表しています、「彼らはイエスと一緒にいた者である」(使徒4:13)。
能力や賜物は人によってみな違います。わたしたちはみな、年令、性、環境、仕事、家族構成、経験、社会的身分、能力など、いろいろ違っています。この世では、これらの違いが差別を生み、争いを引き起こす理由となっていますが、本来、違いそのものが争いの原因をなすものではありません。人間に内在する罪が自己中心に生きる世界を作り上げるのです。この性質がある限り、能力も賜物もすべて差別や争いを生み出す道具に用いられます。キリストの心を受け入れるとき、それらは隣人の祝福のために働きます。それぞれの個性は花壇の花のように美しい違いをしめします。異なることが差別の理由ではなくなります。互いの違いは美しさを引き立てる理由となります。平和的で、魅力的に発揮されます。違いを超えてキリストの精神、キリストの命が現わされます。キリストの命が現される時、あなたに与えられている賜物が最も美しくその価値を発揮するときでもあります。あなたを通して周りを祝福する光がきらきら輝きますように。


2016年4月12日火曜日

わが神を楽しむ

わが神を楽しむ 
 

「わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ」 
                   (イザヤ61:10)

 「楽しむ」という用語は、満足を意味します。わたしたちは楽しい事柄には、できることなら、四六時中浸りきっていたいと思います。その事を思うほどに気分が爽快になるのです。車が好きな人は、車をいじり、車を運転し、車の本を読み、カーアクセサリーを集めます。寝ても覚めても車のことを考えることが楽しいのです。
ダビデは神ご自身を楽しんでいました。その心境を謳(うた)っています。「わたしが床の上であなたを思い出し、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄(ずい)とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをたたえる」(詩篇63:5)。
愛する者が相手のために最上のもの(命をも)を与えて愛の証を立てるように、彼は、神が無限の好意を自分に抱いてくださっていることを確信します。そのように、神はあなたに対しても善を計り、恵みで取り囲んでくださいます。一見、悪い状況だと思われる経験も、人知を超えた素晴らしい結果を予想することができるようにしてくださいます。何によってそのことを確信できるでしょうか。十字架という背景です。神が人間の持つすべての重荷を身代わりに担ってくださったという歴史的事実です。それは永遠の神の真実です。
神は罪人が救いを喜び歌う楽器となるよう望んでおられます。救いにあずかった人々は全員でハレルヤコーラスを歌うのです。各人は自分の生活そのものが旋律となることを望みます。「音楽家」は“音を楽しむ人”という意味です。クリスチャンは神を楽しむ人々です。神を楽しむ最高の証は、他の人々に救いの喜びを伝えずにはおれない心境です。歓喜は自己の内にとどめておくことができません。唇を突いて飛び出し、賛美し、生活全体が音色を奏でます。あなたの人生経験が美しい音色を奏でる日々でありますように。



親心

 
 「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」(マタイ7の9)

 父と私と妹二人の父子家庭で過ごした時がありました。当時、私は小学5年生。父は、仕事に出ますと1週間から2週間は帰ってきません。その間、私が炊事、洗濯、掃除、買い物などをします。学校が自宅から徒歩2分の近い所にありましたので幸いでした。父が帰ってくるとうれしくてたまりません。父は1日~2日の休みを私たちと共に過ごします。父の休日はいつもお決まりのコースを辿ります。私たちを連れてまず一杯飲み屋に行きます。父が酒を飲んでいる間、私たちはおつまみの豆をぽりぽりほおばるのです。その次はパチンコ屋。父が楽しんでいる間、私は落ちている玉を捜し、それでキャラメルを獲得したりします。妹たちは父のそばで辛抱して待っています。父の興趣が冷めると、今度は場末の映画館で三本立ての洋画を見るのです。
子供たちにとって決して良い環境とは言えませんでしたが、私たちは父が共にいてくれるだけで充分満足だったのです。父は前科者でしたし、母から見れば悪い夫だったと思います。しかし、どういうわけか、私たちにはとても優しい父でした。
人も動物も、親の愛で次世代の命をつないでいると言えるでしょう。近頃、家族の絆がおかしくなっていますが、本来はそうではありません。神は親の立場を持つ者の心に愛を埋め込まれたのです。

私どものことを一番心配してくださる天の父が共にいますことを覚えて日常を過ごすとき、信頼と安らぎの大気の中で呼吸することが出来ます。

2016年3月15日火曜日

見抜く力

見抜く力 
 
  
 「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」(フィリピ1:9)

 愛を表す新約聖書のギリシャ語にはいくつか種類があります。恋愛、親子の情愛、友愛、神の愛などがそれで、それぞれ区別されています。ヘンリー・ドラモンドが言っているように、「愛は人生のエネルギー」で、人を動かす力ですが、偏よった愛、思い込みによる愛、善意ではあっても押し付け的な愛などは、他に対して刃物になることがあります。神のみ言葉を通してキリストの人格を学ぶ時、愛の本源であられる神の真実の愛、無私の愛に近づきます。それは傷つけない性質であることはいうまでもありませんが、愛は「高さ」「深さ」「広さ」「長さ」を持つものとして、その理想であるキリストを目指しています。
だいぶん前のことです。調律士を養成する音楽学校の理事長がわが教会の礼拝に出席してくださいました。礼拝後の挨拶の折に感謝の辞を述べ、続いて彼は親切にもこう言ってくださいました、「先生、ピアノの音に狂いが生じているようです。良かったらウチの生徒をよこしましょうか」。
調律士は、音叉の音を基準に、研ぎ澄まされた耳と神経で、微妙に狂ったピアノ音を調整します。卓越した耳の人は、瞬時にわずかの狂いを見抜きます。「見抜く力」は、上記の聖句の文脈によれば、善悪を見分けるというよりは、愛の特徴を掘り下げ、もっとすぐれた愛を追い求めるように、そしてキリストにある愛に成長するよう奨励しています。絶えざる愛の求道者としてキリストを仰ぐ時、神はその道を一歩一歩辿れるように導いてくださるのです。




神を見る

神を見る

  「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る」(マタイ5:8)

フィリピンのセミナリーで学んだ1年半の最後の仕上げは、パナイ島での1ヶ月間に亘る連続伝道講演会のお手伝いでした。その間に、1泊2日間のお休みを頂いたことがありました。アジアで働く15人の牧師たちと共に、滞在地からバスで3時間、舟で20分の小さな島ボラカイ島に行きました。透明度の高い海の深い所は紺碧、浅瀬はエメラルドグリーン、海から眺めた島は白砂のラインに緑の椰子の葉が立ち並び、何かのグラビア写真で見た光景そのものでした。海のきれいなことに皆口々に感嘆していると、まもなく舟は真っ白な砂浜にすべり込みました。ひとりの韓牧師は、うれしさのあまりズボンをまくりあげ、深さ30センチほどと見た岸辺で舟から飛び降りたのです。ところが、彼のからだは頭まで水面下にもぐりこんでしまいました。そこは彼の身長よりも深かったのです。澄んだ世界は深い所でもすぐ近くに見えるものですね。

「心の清い人々」は、見えない神、いと高き天の神を見ています。「心の清い人々」は罪のない人のことではありません。むしろ自分の罪深きことがよく見えるのです。「心の清い人」とは、自分の罪深さについて正直な人、心が真っ直ぐな人で、何に目を向けたら良いのかが分かる人です。神の臨在を身近に体験した人は、さらに神を見ることを求める経験に入ります。神が見えると自分が見え、自分の生き方が分かり、人生の本当の意味が見えてきます。自分で心を清くすることが出来ません。キリストがあなたの心を清くしてくださいます。あなたの目をキリストに向けさえすればよいのです。すると、あなたを清くするキリストのみわざがはじまるのです。


救いの香り

救いの香り  


「命から命に至らせる香り」(コリント第2、2の16)

 神の直接のみわざは命をもたらす活動です。「神のいやしの力は、自然のあらゆるものに見られる。木が切られたり、人が負傷したり骨折したりすると、自然はすぐにその傷の害を回復し始める。いやしの働きは、その必要が起こる前から用意されていて、ある部分が傷つくと同時に、一切のエネルギーは回復の働きのために注がれる。霊的な世界においても同じである」(E・G・ホワイト著「教育」136頁)。 キリストの精神に生きる者は、このように自己の存在そのものが周りにいやしと元気を与える香りでありたいと望みます。食品会社「三育フーズ」の前身にあたる食品工場が三育学院カレッジの労働部門として学生たちの勤労精神養成と技術習得の場であったとき、そこのパン工場で働くSさんは神学部の先輩で、わたしと同室でした。彼は授業よりも労働に力を入れていました。ある日の昼食前、彼はパン工場から寮に戻ってきました。たちまち部屋の空気が一変し、美味しそうなパンのにおいが充満したのです。空腹だったわたしは思わず叫びました。「S先輩!あなたを喰ってしまいたいよ!」。早朝からお昼までパン工場にいた彼は、すっかりパンのにおい漬けになっており、彼自身は気づかずにいたのですが、周辺に焼き立てのパンの香りをふりまいていたのです。キリストとの交わりの中に日を過ごす者はこれ似ています。意志的な活動だけではなく、無意識的な感化をまわりに及ぼすものです。言葉づかいやふるまい、微笑などによって接触する人々に命と元気をもたらします。「愛はすべての過ちをおおう」「優しい舌は命の木である」「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする」(箴言10の12、15の4、16の24)などの聖句に見られるように、神のご臨在のうちに幾分留まる者は、無意識のうちに周辺に天国の雰囲気をかもしだす力となりましょう。

神のみ手にある駒

神のみ手にある駒 
  

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています」(ローマ人への手紙8;28)

神を愛する者とは、すべての瞬間に神の意志が働いていることを知っている人々のことです。この事実に目が開かれますと、人生に新しい視点を持つスタート地点に立ちます。世界観、人生観がまったく新しくなります。
じゅうたんの裏側は、織り糸が複雑に入り乱れて走っています。一見、わけが分かりません。しかし裏を返して、その表を見ると見事な孔雀の絵が描かれていたりします。人生は、一見矛盾に満ちているようですが、神は、あなたの人生のための完全な絵を用意しておられます。この世の艱難や悩みは、あなたの救いを遠ざける勢力にはなり得ません。信仰によれば、むしろ、それらはあなたの至福へと前進させる神の手のうちにある駒となります。
聖書によれば、神の呼び名は百以上あります。そのうちの一つは「不思議」です。神は、わたしたちの見通しを超越する不思議を行う方です。神がわたしたちに試練に会うことを許される時、わたしたちが神の絶大な愛の対象であることを確信する機会となります。試練は、わたしたちの人間性の弱さに目を開かせ、救いの永遠の保証であられるキリストに堅く立つよう導きます。人生の終わりに立って、わたしたちは困難が祝福であったことを確証できるようになります。災難だと思われたことが働いて益となり、失望と思われたことが働いて偉大な祝福となることを知るには、年を取る必要はありません。大事なことは神に対して謙虚になることです。神のわたしたちに対する永遠の目的は、恵みによって罪人を救うことです。


将棋の駒は王将を含めて20あります。すべての駒の目的は相手の王将を詰めるというこの一点にあります。神は、あなたの身の周りの万事を支配しておられます。あなたに対する神の御目的はどの一点にあるか、もうお分かりかと思います。あなたが経験するすべてに新しい恵みを発見なさいますように。

2016年2月9日火曜日

非暴力と十字架

   非暴力と十字架


  「平和を愛する人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5:8)
 
 インド独立の父マハトマ・ガンジーを祖父に持つアルン・ガンジー氏が平成10年に日本で講演したことがあります。非暴力の象徴として、しばしばガンジーの名が引き合いに出されますが、その精神は祖父から父、孫へと受け継がれていったそうです。「16歳の頃、父を車に乗せて出かけました。帰りの約束時間に遅れてしまった時、その訳を正直に言えませんでした。息子のうそを見抜いた父は、『育て方が間違っていた。それが何かを考えるため、歩いて帰る』と言って車を降り、18マイル(約30キロメートル)を5時間半かけて歩き続けました。私は自分のうそで苦しむ父を見て、生涯うそをつかないと決めました」とアルン氏。「過ち」を力でなく、言葉でもなく、行動で教え諭(さと)す人。そして、それを受けとめることの出来る心。非暴力の世界を実現するためには、「心の変革」が必要であるとアルン氏は受け継がれた精神を語り伝えました。
ガンジーは若い頃、イギリスに留学し、そこで聖書を読み、キリスト教の影響を強く受けました。ヒンズー教徒としての立場を守り続けましたが、内面はキリスト教の精神に生きたと言われています。キリストの非暴力を旨とした生涯はその最たるものでした。


武力や腕力ではなく、徹底的に非暴力に生きるには、究極の結論をもたらす神への信仰と隣人に対する温かい思いがなければ実現しません。信仰と希望と愛、これは三つよりの綱のように固く結ばれています。あなた自身の人間性の中に、これを希望する思いがあるなら、あなたは神に結ばれる道を持っていると言えるでしょう。

祝福の川

祝福の川
 



 「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ七の三八)

 甲武信ヶ岳(こぶしがたけ、甲斐・武蔵・信濃の国境にあることに由来する山名)を源流として関東平野を流れる荒川は、東京湾に注ぐ長さ173キロメートルの河川です。昔は度々洪水をもたらし、甚大な被害を人々に与え、川筋の地図を大きく塗り替えたものですから荒川と呼ばれました。荒川放水路完成後、大洪水はなくなり、暴れる力は人々に益をもたらすエネルギーとなりました。
イエス様の弟子ヨハネは、雷の子と称されるほど気が短く、圧力や権威で相手をねじ伏せる力の原理を象徴するような人物でした。12弟子の中で最も若かったとされる彼が、イエス様を観察するうちに、生きる原則、誰を英雄とするかの基準が変わって行きました。真の英雄は、他の祝福のために自分を捨てる人であるという真理を発見し、十字架のキリストから生き方と死に方を学びました。生涯の目標となるお方に彼の目が留まった時、彼の内なるエネルギーの向けどころも変わっていったのです。


イエス・キリストの品性の秘密に迫ってみましょう。聖書にある約束の確かさから来る神の真実とわたしたちに対する神の愛を少しでも体験するとき、わたしたちの心の中に通路ができ、人々に祝福となる生きた水の流れが生じます。

2015年12月25日金曜日

馬に問うてみよ

馬に問うてみよ  


「しかし獣に問うてみよ、それはあなたに教える」(ヨブ12:7)

 第二次大戦の最中、連合軍の圧倒的な砲弾の前に、義父の属していた南方軍部隊は道を選ぶゆとりもなく敗走しました。ひ弱な体つきの義父が、周りの驚きをよそに甲種合格、入隊となってしまった身でしたが、どうにも行軍についてゆけません。山を、谷を、泥の河をと、所かまわず敗走する敗残部隊の隊列からじわじわと遅れ、隊伍から離されてしまいます。いつも、やっとの思いで部隊に追いつく経験の繰り返しでした。ある日もジャングルを敗走していました。そして、とうとう後続部隊を見失ってしまい、薄暗い森の中をどう進めばよいか分からなくなってしまい途方にくれました。日没後の道なき道を辿るのは容易ではありません。いや不可能の状態でした。困った父は立ち止まり、そこで祈りを捧げました。そのとき、冒頭のようなヨブ記の一節を思い出したのです。上官の馬を引いていた義父は、馬を先に立たせて歩き出しました。馬は見事、部隊が休息していた場所に義父を導いたのです。

文脈の意味と多少異なる経験ですが、神はご自身に信頼を置く者を決して見捨てることはなさいません。義父は聖書を背のうにしのばせ、通読を欠かさない人でしたが、み言葉に親しんでいたからこそ、折にかなった神の言葉を思い出し、その実効性を体得したのでした。聖書には、信じる者に保証された3573の約束がある(ラフボロー)と言われています。聖書は単なる道徳訓の書物ではありません。生ける神はあなたの生活に介入しておられ、求めるあなたの人生に救いを与える実際的なお方なのです。





2015年12月23日水曜日

自然は癒し系

自然はいやし系  

「自然…は神の愛をあかしします。」(キリストへの道)

 息子たちと八ヶ岳へ登った時のこと、下山途中で一人の老人に出会いました。当然山の話が弾みます。その時,老人は北海道大雪山の最高嶺トムラウシに登ることをすすめてくれました。山懐(やまふところ)が深いので足で稼(かせ)がねばならないが、労して余りある慰めが道中にあるとつけ加えました。
三年後、熊騒動のニュースで賑わう年の夏にそれが実現しました。わたしは山の景色や花をカメラに収めるので、登山になると、いつも歩くのが遅(おそ)いと子供たちからぼやかれます。しかし、この時は反対でした。真っ白な根雪が紺碧の空にまぶしく、山頂までの登山道に沿って高山植物の花々が絨毯(じゅうたん)のように敷き詰められ、山の舞台を演出しているのです。息子たちはその美しさに感嘆し、言葉もなく、ただひたすらシャッターを切っていました。
 自然界に限りませんが、美しい光景に出会うとき、私たちは心の奥深くから感動します。時には目に涙を浮かべます。惜しげもない感嘆の叫びが口をつき、子供のような感情がふつふつと湧き上がります。誰かを気にして自分を抑制する気持ちを超えます。自然は心を解放してくれます。解放された心は天に対して素直になれるのです。自然は私たちに対する神の配慮で満ちています。お昼のお休み時間、あるいは休日のおりに、自然の中に身をおいて素朴な光景の背後にある美と調和をながめて瞑想(めいそう)してみましょう。



2015年12月21日月曜日

愛のかたち




愛のかたち 



 「・・・もっとも大いなるものは愛である」(コリント第1、13:13)

 結婚式の席上、新郎新婦は神のみ前で厳粛な誓いを交わします。この誓いの前に、わたしは必ず語ることにしているメッセージがあります。虹は七色ですが、愛にもいろいろの色彩とかたちをもっていると語ります。理解、親切、包容力、気遣い、善意、正直、慈しみ、忍耐、自制、思いやり、諭(さと)し、微笑、共感、配慮、優しさ、いやし、慰め、同情、叱責、語り合い、重荷、信頼などです。その中で最も基本的な愛のかたちのひとつは赦しです。赦しのある夫婦はその土台が揺るぎません。
人はみな過ち製造所のような存在です。互いに批判し合えばキリがないほどちりやごみが出てまいります。互いに遠慮なく物を言い合える、ということも夫婦にはなければならないでしょう。言いたいことも言えない、というのは他人行儀で、理解を深めることは出来ません。しかしそこには相手に対する礼儀の原則がなければなりません。一方的で、感情むき出しの夫婦喧嘩というものは、たいてい些細(ささい)なことから起こります。自分を絶対正しいとする本能的なまでの自己中心の性質から生じます。

赦しのある夫婦となるためには互いに十字架を仰がねばなりません。人は受けていないものを持つことができません。持っていないものを与えることもできません。人は経験していないことを再現できないのです。赦しが伴った愛の人となるためには、そのような愛の性質を、キリストを通して神から受ける必要があります。そして誰でも受けることが出来ます。ヨハネは啓示と体験によってこう書きました。「愛は、神から出たものなのである。」であると。(ヨハネ第一、四の七、八)。神は愛の出発点であり、愛の到達点です。神の愛は人間の経験を超えています。「人知をはるかに超えたキリストの深さ長さ広さ高さを理解するように」と聖書は勧めています。幼子から大人になる過程が人にあるように、愛にも成長の過程があり、これで会得したと言える限界はありません。人格に生着する愛のバラエティを探検してみましょう。