2017年12月1日金曜日

ハレルヤ賛美の足跡(3)
下を向いて歩く
 小学校1年生から3年生まで通った榎並小学校の隣に野江水神社があった。その境内を私は時々通学路にしていた。ある日、その境内で10円札を拾ったことがあった。
 別の日に、母の使いで魚のアラを買うために都島通り沿いにある市場へ行った。雨が降っていた。どういうわけか、私は車道を歩いていた。小学校2年生の頃だったと思う。広い道路だが、まだ車の数は少なく、馬車(荷車を引く)や牛車が道路の端を通行していた。お天気の良い日は、馬糞・牛糞が目についた。榎並小学校を右に見て、その先に市場があった。自転車が私を追い抜いて行った。水撥ねを飛ばして去った車輪の跡に百円が落ちていた。私は百円札を見たことがないので、おもちゃのお金だろうと思った。帰宅して、母にそのお金を見せると、母は大喜びして「これでお米が帰る」と言った。警察へ届ける気持ちはさらさらなかったようだ。
 そういうわけで、私は下を向いて歩く癖がついてしまった。後日、父と1年間だけ一緒に住んだことがあるが、父は仕事休みの時は決まってパチンコ屋に行って遊ぶのを常とした。私は退屈しなかった。店内を歩いて回り、落ちているパチンコの玉を見つけるのである。
 話を元に戻そう。小学校3年生の時の担任は川崎先生と言った。生徒たちから好かれていた。給食の時、先生が言った言葉を覚えている。「僕より早く食べたらあかんでぇ。ええか。よく噛んで食べや」。優しい口調である。
 遠足の行事を控えていたある日、我が家は貧しく、私だけが遠足代を払えず、遠足に行けそうになかった。川崎先生は私の家の事情を良く分かっていたらしく、ひそかに私に声をかけた。「福本、お前な、学校が終わったらな、僕の家においでや」。先生の家は私の家から近かった。夕方、先生の家を訪ねると、先生はにこにこして、「福本、よく来たなぁ。これでな、今度の遠足行けよ。誰にも言うなよ」。そう言って私の手に百円札を握らせた。
 家に帰って、母にそれを渡すと、母は、「他人(よそ)様からお金をもらうなんて、そんなことしたらあかん」と怒った。”昔人間”はお金をもらうことに抵抗があったようだ。
 何年か前に母と昔話をしていた時、話の流れで川崎先生の事が出た。すると私は怒った時の母の表情を思い出したが、暗に反して、母はこう言い放った。「川崎先生はええ先生やった。後ろから拝みたいような先生やった。あんな人、そんなにおらんで」。
 イエス・キリストに出会って、下を向く生き方から天を仰ぐ人生に導かれた。当時、お金の大切さをひしひしと感じさせられたが、今から思えば、頂戴した百円札以上に、川崎先生のお人柄を心に刻み付けていただいていたのだ。貧しい中での人々の親切は、無限の愛の出発点であられる神様を知る布石となっていたに違いない。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿