2015年12月21日月曜日

愛のかたち




愛のかたち 



 「・・・もっとも大いなるものは愛である」(コリント第1、13:13)

 結婚式の席上、新郎新婦は神のみ前で厳粛な誓いを交わします。この誓いの前に、わたしは必ず語ることにしているメッセージがあります。虹は七色ですが、愛にもいろいろの色彩とかたちをもっていると語ります。理解、親切、包容力、気遣い、善意、正直、慈しみ、忍耐、自制、思いやり、諭(さと)し、微笑、共感、配慮、優しさ、いやし、慰め、同情、叱責、語り合い、重荷、信頼などです。その中で最も基本的な愛のかたちのひとつは赦しです。赦しのある夫婦はその土台が揺るぎません。
人はみな過ち製造所のような存在です。互いに批判し合えばキリがないほどちりやごみが出てまいります。互いに遠慮なく物を言い合える、ということも夫婦にはなければならないでしょう。言いたいことも言えない、というのは他人行儀で、理解を深めることは出来ません。しかしそこには相手に対する礼儀の原則がなければなりません。一方的で、感情むき出しの夫婦喧嘩というものは、たいてい些細(ささい)なことから起こります。自分を絶対正しいとする本能的なまでの自己中心の性質から生じます。

赦しのある夫婦となるためには互いに十字架を仰がねばなりません。人は受けていないものを持つことができません。持っていないものを与えることもできません。人は経験していないことを再現できないのです。赦しが伴った愛の人となるためには、そのような愛の性質を、キリストを通して神から受ける必要があります。そして誰でも受けることが出来ます。ヨハネは啓示と体験によってこう書きました。「愛は、神から出たものなのである。」であると。(ヨハネ第一、四の七、八)。神は愛の出発点であり、愛の到達点です。神の愛は人間の経験を超えています。「人知をはるかに超えたキリストの深さ長さ広さ高さを理解するように」と聖書は勧めています。幼子から大人になる過程が人にあるように、愛にも成長の過程があり、これで会得したと言える限界はありません。人格に生着する愛のバラエティを探検してみましょう。




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