2016年4月20日水曜日

キリストを生きる

「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、人々があなたがたのよい行いを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16)



 義弟家族とわが家とで能登半島の海に遊んだことがありました。キャンプ場から眼下に美しい日本海を望むことができました。わたしたちはテント村の仲間入りをさせてもらったのですが、その夜の光景を忘れることができません。外灯や電灯が全くない夜のテント村で、各テントの中ではそれぞれの方法で灯りを灯(とも)していました。すると、赤や黄色、青などの様々なテントの色が闇に浮かぶのです。その上、家型、ドーム型、三角型など、テントの形のままにくっきりと浮かび上がります。美しい光の芸術の祭典のようでした。
キリストの精神が弟子たちの心に宿ったとき、彼らは皆互いに違った個性や教養の持ち主でしたが、キリストの命は、それぞれのかたちで現されました。人々は弟子たちの共通点をこう言い表しています、「彼らはイエスと一緒にいた者である」(使徒4:13)。
能力や賜物は人によってみな違います。わたしたちはみな、年令、性、環境、仕事、家族構成、経験、社会的身分、能力など、いろいろ違っています。この世では、これらの違いが差別を生み、争いを引き起こす理由となっていますが、本来、違いそのものが争いの原因をなすものではありません。人間に内在する罪が自己中心に生きる世界を作り上げるのです。この性質がある限り、能力も賜物もすべて差別や争いを生み出す道具に用いられます。キリストの心を受け入れるとき、それらは隣人の祝福のために働きます。それぞれの個性は花壇の花のように美しい違いをしめします。異なることが差別の理由ではなくなります。互いの違いは美しさを引き立てる理由となります。平和的で、魅力的に発揮されます。違いを超えてキリストの精神、キリストの命が現わされます。キリストの命が現される時、あなたに与えられている賜物が最も美しくその価値を発揮するときでもあります。あなたを通して周りを祝福する光がきらきら輝きますように。


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